こぼれ話No.06 公園が送るメッセージ

 障害のある子どもも一緒に楽しめるように工夫された遊び場を訪ねて海外や国内のいろいろな公園をまわっていると、現地で、その公園ができる経緯や背景を伝える物に出会うことがよくあります。

 「ぼくも公園で遊びたい!」とみんなに訴えた車いすの子どものエピソードを紹介する看板、公園づくりに賛同し寄付をした、たくさんの住民や企業の名前を記した壁画、公的機関から大きな賞を受けたことを示す石碑 ・・・

 これらは、公園の完成後もずっと、そこを訪れる多くの人にそれぞれのメッセージを発信し続け、私たちに何かを感じたり、考えたりするきっかけを与えてくれます。地元の人は公園にいっそうの愛着や誇りを持ち、遠方から訪れた人は「ぜひ私の町にもこんな公園を!」と活動を始めるきっかけを得るかもしれません。

 ところが中には、そういったメッセージを発する物が一切ない公園もあります。
 あるのは多様な子どものためによく考えられた遊具と、ごく一般的な使用上の注意を示す小さな看板だけ。公園づくりに力を尽くした人の名前はもちろん、ここが障害のある子どもも楽しめる遊び場であることすら、どこにも示されていないのです。そのため中には、ここがいかに「特別な」公園か、気付かないまま遊んでいる子どもたちもいます。

 多様な子どものための優れた工夫を備えていながら、
 何のアピールもしない公園――
 しかしここも、すました顔で1つのメッセージを送っているような気がします。

「公園はみんなのもの。『みんな』の中に障害のある子どもも含まれるのは当然でしょ」

 実際は単に、特別な看板を立てる予算が足りなかっただけなのかもしれません。
 けれどその公園で楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿は、近い将来、こうした公園が取り立てて称えられることなく、私たちが当たり前のようにあちこちで目にする社会がやって来る、そんな想像をさせてくれる光景です。