先日、私の勤めている養護学校で、「子どもたちの就労宣言2」というフォーラムが開催されました。養護学校に通う子どもたちの生の声、また、雇用して下さっている企業の方や行政、コーディネーター等、様々な立場の方々の声を集め、伝え、考えるといったイベントでした。今年で2回目になりますが、多くの方が参加してくださり、本当に感謝感謝の一日でした。
「社会に出たい!」「働きたい!」「お金を稼ぎたい!」色々な声が飛び交っていましたが、どれもあたりまえのことです。ではなぜできないの・・・?多くの問題点がそこには存在しています。最近、岡山の新聞にこんな記事が載っていました。
■「車いす生徒受け入れ、県立高校で対応に差」
車いすの生徒の受け入れをめぐり、県内の県立高校で対応に差が生じている。教室移動の介助者が確保できないことを理由に、入学辞退を暗に勧めた高校がある一方、教員や生徒の協力で学校生活を送れるケースも。
(2008年8月8日月曜日 山陽新聞朝刊より)
段差や階段があるのは、どこの学校でもほとんど変わりはありません。記事によれば、岡山県内の県立高校でエレベーターが設置してあるのは1校しかなく、階段昇降機があるのも2~3校、その階段昇降機も本来教諭の業務ではないため、保護者が付き添わなければ使用できないとのこと。その一方で各階に車いすを配置し、同級生や教員が移動を介助。保護者の付き添いも事故もなく3年間過ごすことができた学校もある。
障害の違いや環境、その他様々な要因が絡み合っての結果なので、ここではその是非を論じるつもりはまったくありませんが、いろんな意味でのハードルの高さを感じてしまう記事でした。
障害を持った人が社会で暮らすためには、様々なハードルがあり、それを乗り越えるために様々な努力を本人も、周りの人たちもしています。また、ハードルの高さを少しでも低くして、乗り越えやすいように、社会全体も大きく変わろうとしています。
具体的に考えてみましょう。階段しかない建物で1階から2階へ車椅子の利用者が移動しようとした場合、どのような方法が考えられるでしょうか。
(1)自力で上がれるようになるまでリハビリをする。
(2)エレベーターを設置する。
(3)スロープを設置する。
(4)階段昇降機を設置する。
(5)車椅子を持ち上げてくれる人を常に待機させておく。
これらのどれかが実現するまで、社会には参加させてもらえないのでしょうか?
いいえ、もう社会は何歩も先に進んでいます。
上記の記事の中にも、各階に車椅子を設置し、教職員と生徒で力をあわせてハードルを乗り越え、何事もなく3年間過ごすことができた県内の他の県立高校の例が紹介されていました。
障害者雇用をしてくださっている企業のすべてが、ハードルのない環境を実現しているわけではありません。誰が?お金は?責任は?考えればきりがありません。物理的精神的ハードルはあっても、今何をすべきか?今何が大切なのか?という原点に立ち戻ってみると、できない理由を探すより、今あるものを効果的に組み合わせていくことで、道は見えてくるものではないでしょうか。お互いの力を出し合って、お互いに満足できるような成熟した社会になっていってほしいと思います。