コラム
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「特別編:この人にきく(2) 障害者制度・長瀬修さん」

写真:長瀬修さん

◆長瀬 修(ながせ・おさむ)さん
東京大学特任准教授
1987年~92年 八代英太参議院議員秘書
1992年~94年 国連事務局障害者班 専門職員
1995年~    障害・コミュニケーション研究所 代表
2002年~    現職 2009年12月~ 障がい者制度改革推進会議 構成員

◆著書 「障害者の権利条約と日本―概要と展望」生活書院、2007年 「障害学への招待」明石書店、1999年 他、著書、訳書多数。

別ウィンドウで開きます長瀬さんのホームページへのリンク


1.障がい者制度改革推進会議について
長瀬さんが構成員を務められている 障がい者制度改革推進会議 による「障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)」が、平成22年6月7日に出されました。この位置付けや意義についてお聞かせください。

 「社会モデル(注)」的観点から考えて障害者である人たちが、どうやって不利益を被らないようにしていくのかというのが会議の課題で、第一次意見によって日本の障害者政策の目指す方向性が明らかになりました。これが政府の文書で発行されたということは、日本の文脈の中では革命的なことです。しかしながら、例えば急に財源が増えたわけでもなく、それらを実現するための課題や客観的条件の厳しさというのは全然変わってはいません。目指す方向をどのように現実のものにしていくのかという意味で、ようやくスタートラインに立ったところです。

※注:障害の「社会モデル」とは、損傷(インペアメント)と障害(ディスアビリティ)とを明確に区別し、障害を個人の外部に存在する種々の社会的障壁によって構築されたものとしてとらえる考え方である。(「障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)」より)

 

<当事者主体の政策決定機関>  
  この推進会議が画期的なのは、構成員26人のうち障害者の家族を含めて過半数が障害者を代表する立場の人々であるという点です。障害の問題に関する政策決定機関で、障害の問題を一番切実に感じる人たちが大多数を占めたこの会議が成功すれば、他の問題でもいわゆる当事者と呼ばれる人たちが政策決定に携わることでいい結果が出せることの証明になります。推進会議を、そのモデルケースにしなければいけないと思っています。特定の問題について、一番切実に問題を感じる当事者たちが、一番問題解決の知恵を持っているし、熱意も持っている。私たち構成員の役割はものすごく大きいです。構成員として出てきている26人は、出てきていない人たち、代表を送り出せていない人たちのことをどれだけ考えて会議参加できるのかが問われるのです。

<オーナーシップとパートナーシップ>
 オーナーシップとパートナーシップという考え方があります。取り組みを自分達のものだと感じられることをオーナーシップ、その外側の人たちとの連帯をパートナーシップと呼びます。推進会議では、過半数が障害者もしくは関係者ということでオーナーシップが実現したわけですね。でもそれを実現した瞬間に、今度は障害者だけがやっていることにならないように、如何に障害者ではない人たちともパートナーシップを築いて、政策を前進させるかが鍵になります。それは、行政、政党、NPO等ありとあらゆるところとどうやって連帯していくのか、共感を持って取り組むのかということです。障害者のことは障害者がやっていればいいとなっては絶対に解決しないのです。

<障害分野が日本を変えていく力に>
 オーナーシップについては、障害問題ではもちろん初めてで、他の問題でもきちんと制度になっているというのはこれまでほとんどありません。実質的なパワーを持つ政策決定機関として政府が位置付けたという意味では、多分始めての試みだと思います。これが障害問題で実現したのは、日本の障害者運動の成果でもあるし、それをちゃんと理解してきた政治家がいるということです。そのどちらかが欠けていても、こういうしくみはできなかったでしょう。この会議の取り組みがうまくいくことによって、他の分野にも多大な影響力がある。似たような取り組みがもっともっと生まれると思うんです。その意味で、あらゆる分野で困難な問題を抱えている日本で、それを変えていく一つの力に障害分野がなれるのではないかと考えています。

写真:長瀬さんの著書。「障害者の権利条約と日本」

2.日本の障害者政策の課題
 日本では、障害差別禁止法はまだ制定されておらず、また国連障害者の権利条約への批准もされていません。このような日本の障害者政策の現状についてどうお考えですか?

 これは日本特有の状況というわけではないのですが、やはり障害を医学モデルや医学的基準のみで捉えているところが一番の問題でしょう。それをどうやって変えていくのかは本当に大きな課題です。  
 さらに重要なことは、障害差別禁止に基づく政策がどういうふうに本当に機能するのかということ、これは非常に慎重に見ないといけません。実際に機能する障害差別禁止法を作ってきた国は、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど世界に10ヵ国程度でしょう。

<例えば、雇用の問題>
 例えばアメリカの場合、一応全体として実効性が上がっていると言えますが、雇用の部分ではだめですね。 ADA(障害を持つアメリカ人法)以降も障害者の就業率は下がり続けています。それは疑問の余地がなく、障害差別禁止のもと合理的配慮を義務付けることが雇用増に繋がるという数字はどこにも無いでしょう。そこで議論の的になっているのは、それはADAによるもの、つまり合理的配慮を義務付けたから事業主は障害者を雇うのに抵抗を感じるようになったのか、それともそもそもADAにはそんな影響力は無く経済の動向や社会保障等の影響によるものなのかというところです。
 合理的配慮の義務付けはもちろん必要ですが、それが本当に雇用増に繋がるのかはよく見極めなければなりません。金が掛からない合理的配慮もたくさんありますが、金が掛かる合理的配慮も間違いなくある。特に就業に困難を感じている人たちの合理的配慮を本格的にやろうとすると結構お金の話になると思います。そこをどうやって担保していくのかが課題です。

<例えば、予算措置の問題>
 また、例えば予算については、日本では障害者政策の予算がすごく少なく、OECD平均の1/3ぐらい。同時に、現在の捉え方だと障害者の数も少ないから一人当たりはそれなりになっています。ここで障害者の定義を社会モデル的に広げると、年金等の認定制度も確実に広げる方に向かうわけなので、その時に予算が増えなければ一人当たりの金額を削るしかありません。だからそうならないように予算措置をきちんと裏付けて、どうやって政策を変えていくのかが重要なのです。

<政策効果>
 障害差別禁止の理念に基づいた具体的な政策が、建前で機能するはずでは本当に困るので、政策を変えた時に実際の政策効果がどうなっていくのかが一番肝心なのです。そこを見極めていくのはすごく大変な作業です。いい意図があって政策を変えてもそれで結果がマイナスだったら話になりません。障害差別禁止法ももちろんやるけども、それによって悪い影響が出ないように全体のパッケージとして考えていく必要があります。


3.障害学について
 長瀬さんの研究分野は障害学。日本で障害学研究を立ち上げた主要メンバーのお1人でもいらっしゃいます。障害問題や障害学との出会いは?

 92年から94年まで国連事務局障害者班に勤務していた時に、印象的なことがありました。92年に、世界の障害者の10年が終わり、その総会でNGOの代表の人たちが次々に発言をしたんですが、その中に知的障害の人がいたのです。それまで、知的障害の人がそういうところで発言するというのは全く想定されていなかったことでした。当時は、例えば私が総会で障害者団体の会長の車いすを押していると、同僚が会長に話さないで全部私に話しかけることがありました。障害者がまるで幽霊人間になるわけで、とても恥ずかしいことですが、そのようなことがある中、知的障害者の団体が知的障害の本人を派遣していたのはすごく印象的でした。
 その後、94年にオランダ、ハーグの社会研究大学院大学に留学していたときに障害学に出会いました。障害のことを社会のバリアが作り出す問題(=社会モデル)というふうに見るとすごくわかりやすく、とても新鮮で、そこで障害学に惹かれていきました。「障害学への招待」を出したのが99年で、おかげさまで障害学は一つの研究分野として発展してきました。

写真:長瀬さんの著書。「障害学への招待」

4.ユニバーサルデザインの公園と障害者政策
 障害者政策の観点から、ユニバーサルデザインの公園づくりの活動についてアドバイスを。

<連鎖>
 社会モデル的に考えた時、障害の問題の構造は、「連鎖」なんです。例えば何らかの障害があること、それ自体は大したことはないかもしれない。でも、近所の公園では遊べないから遊ぶ機会が無くて友達が少ないとか、近所の病院には行けないから遠くの病院まで行かないとちゃんと診てくれる医者がいないとか、近所の塾には行けないから諦めるとか、そういうことがいろんな子どもにランダムに起こるのではなく、常に特定の○○ちゃんには起こるわけです。それも生涯を通じてずっとです。
 ありとあらゆる場面で不利益が積み重なって、それが10年、20年経ったときには相当なギャップになってきます。親も家族も広い意味で言えば社会もそれに巻き込まれていく。それを無くそうとするのが社会モデルで、それだけでは全部解決しないかも知れないけどもやれるところはものすごくあります。それは、その悪循環を切るということです。どうやって、どこでストップをかけるかということです。その方法の一つが差別禁止です。でも、一筋縄でいく話ではないので、ありとあらゆる生活の場面でその連鎖を切っていく努力が必要です。ユニバーサルデザインの公園もその一つだと位置付けられるでしょう。

<コミュニティー>
 ユニバーサルデザインの公園のもう一つの意義は、コミュニティーとの関係です。日本は、知らない人と話す機会が世界の中で指折りに少ないという統計が出ています。日本のコミュニティーでは、知らない人と新たに出会う機会と、出会った人と付き合って人間関係をさらに豊かにする両方の機能が弱くなってきていると思います――少なくともネット上ではない生身の人と人との関係では。それを強くしていくために公園が果たせる役割があるのではないかと思います。知らない人が出会う場であり、知っている人たちが安心して行ける場。ユニバーサルデザインになっていない、バリアフリーになっていないということは、最初から排除しているということですからね。

<遊びの権利>
 国連障害者の権利条約30条の5-dには、「障害のある子どもが、他の子どもとの平等を基礎として、遊び、レクリエーション、余暇及びスポーツの活動(学校制度におけるこれらの活動を含む)に参加することができることを確保すること」(川島・長瀬訳)と書かれています。子どもが遊ぶことをレクリエーションや余暇に入れないで、ちゃんと遊びとして明記したところがポイントです。子どもの場合はやっぱり遊びが大切だということです。
 文化的な生活、レクリエーション、余暇、スポーツを扱う30条はすごく大事な条項だと思っています。これらは贅沢品のようなことだと思われがちですが、そうではなくて、人間の生きる基本的なことに密接に結びついていて、これが生きがいの人も多いわけです。障害者だけこれらのことが贅沢品だというなら本当におかしな話です。だから子どもにとっては近所の公園が使える、近所の公園でみんなが居られるというのはすごく大事なことで、公園のユニバーサルデザインの意義は大きいと思いますよ。

――貴重なお話をありがとうございました。
(2010年7月11日のインタビューより  聞き手:柳田宏治)

 

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