コラム特別編「この人に聞く」

No.1 ユニバーサルデザイン・川内美彦さん

写真:川内美彦さん

◆川内 美彦(かわうち・よしひこ)さん
一級建築士。工学博士。
東洋大学ライフデザイン学部教授。
2000年「第一回ロン・メイス21世紀デザイン賞」受賞。

アクセス・コンサルタントとして、だれにも使いやすく、安全な建物やまちづくりに向けて活動しておられるユニバーサルデザインの第一人者です。
   
◆著書
『ユニバーサル・デザインの仕組みをつくる スパイラルアップを実現するために』 学芸出版
『ユニバーサル・デザイン -バリアフリーへの問いかけ』 学芸出版 ほか

Q:今日はお忙しい中、インタビューに応じて下さりありがとうございます。さっそくですが、川内さんとユニバーサルデザインの出会いについて、教えていただけますか?

89年から90年にかけてアメリカのサンフランシスコにいた時、むこうの人から「建築をやっているんならロン・メイス(※)に会え」と勧められたんです。当時私は、彼が何者なのか全然知らなかったんですが、知り合いを通じて連絡を取ってもらい、ノースカロライナまで会いに行くことにしました。

私はロン・メイスにとって、初めて会う日本人だったらしいです。それが同じく車いすに乗っていて同業者だということもあって、私を自宅まで招いてくれ、奥さんのロックハートさんが作ってくれた晩ご飯を一緒に食べながら、いろいろ話をしました。

それがユニバーサルデザインを知るスタートだったんですが、じつは最初ね、よくわからなかったんです。もちろん言ってることはわかるんだけど、特にびっくりするようなことを言ってるわけではないし、バリアフリーの考え方と基本的にどこが違うのかということもよくわからなかった。

だいたいアメリカのいろんな活動のリーダーっていうのは「オレが、オレが」という感じなんですけど、ロン・メイスはものすごく穏やかで控えめな人間です。だから言ってることに全然迫力がないんですよ(笑)。ぼそぼそっと言うしね。だから「どうしてこの人の言うことが、アメリカの障害のある方々や大学の研究者たちにすごく支持されてるのかなあ?」とちょっと不思議だったことを覚えています。

その後も、折に触れては彼に会って話をしたり、インタビューをしたりしていました。(たぶん私が一番たくさんロン・メイスにインタビューをした人間だと思いますよ。)そうする中で徐々に徐々に、彼が言うことを繋いでいってユニバーサルデザインを考えるようになりました。

写真:川内さんの著書「ユニバーサル・デザイン-バリアフリーへの問いかけ

Q:川内さんがロン・メイスさんに会われ、その考え方を日本に紹介されてから約20年が経つわけですね。今では日本でもかなり浸透してきた「ユニバーサルデザイン」ですが、アメリカと比べて特徴的な違いはありますか?

アメリカではNPOとか研究機関が中心ですが、日本の場合は企業主導と行政主導ですね。
日本の企業は、「売れる製品づくり」と同時に「社会的にやらなきゃいけないんだ」という雰囲気で取り組んでいますし、行政はとくにまちづくりをしっかりやっています。だからアメリカより日本の方が幅広く大規模にやっていると言えますし、ある意味では、世界中で日本が一番ユニバーサルデザインに成功しているのかもしれません。

特にスパイラルアップや、ユニバーサルデザインをつくっていくプロセスという点では、日本の考え方は進んでいます。日本の企業では、以前から「PDCA(Plan/Do/Check/Act)サイクルで品物を改善していきましょう」という社内の品質管理運動がベースにあって、そこへユニバーサルデザインという考えが入ってきたので、ごく自然にスパイラルアップの考え方が出てきたし、定着もしたんだと思います。

じつはスパイラルアップという言葉は、アメリカなんかでは言われてないんですよ。概念的には彼らも持っていると思いますが、きちんと図式化、モデル化する考え方は基本的に日本でつくられたもので、日本の方がはるかに進んでいると思いますね。

まちづくりについては、「人にやさしいまちづくり」とか「福祉のまちづくり」という考え方が日本独特のものだと言えます。
私は基本的にこうした考え方には批判的なんですが、バリアフリーやユニバーサルデザインに「福祉」の切り口で入ったため、「こころ」「やさしさ」「思いやり」を引っぱりだすことになったんだと思います。これらを否定するわけではないけど、「こころ」「やさしさ」「思いやり」を言ったがために「ハードで対応できないことは人が助けます」という話になったり、「ハードは二の次で、まずは人がやるんだ」ということになったんですね。だから余計な人的負担が必要になるし、ユーザーの方は「いろんな人に助けてもらうんだから文句は言えない」という感じがあると思うんです。

アメリカだと、入口として「障害をもつ人の社会参加する権利を確立するためにやるんだ」というところから始まっているんですが、福祉の切り口で入った日本ではユニバーサルデザインが「社会参加の権利実現」という運動にはなかなか繋がっていないんだと思います。

写真:川内さんの著書「ユニバーサル・デザインの仕組みをつくる

Q:2006年にバリアフリー新法が施行され、昨年(2008年)には都市公園のアクセシビリティに関するガイドラインも策定されました。川内さんも委員として基準づくりに携わっておられましたね。ユニバーサルデザインによる公園づくりのガイドラインができた意義についてお聞かせ下さい。

公園のガイドラインの策定にはいろいろと紆余曲折がありました。
公共交通なんかもそうですが「ワンルートアクセス」といって、たとえば駅を利用するのに南口や北口やいろいろあっても、「最低限一つのルートは確保しましょう」という考え方があるんですね。公園の場合も隅々まで行けるのが一番いいですけども、トイレやアクセシブルなルートを全部にというわけにはいかないし、地形を大事にするとすごく急な所も出てくる。
そこでガイドラインは「公園の主要な施設に対して最低限アクセスできるようにしよう」という考え方でつくりました。

ただ、ガイドラインの限界として最低限のことしか決められないので、「あれがユニバーサルデザインと言えるかどうか」という点で、私は疑問ではあります。しかし公園でアクセシビリティのガイドラインがつくられたのは初めてだったので、「まず最低限のレベルまではやってきたかな」という感じですね。

Q:現在日本には、子どもの遊び場のアクセシビリティに関する明確な基準や方針はありませんが、いくつかの場所では遊び場のバリアフリー化、ユニバーサルデザイン化に取り組んだ事例もあります。これからの公園の遊び場づくりには、どういったことが大切でしょうか?

公園のガイドラインは個別の遊具などについては何も言ってなくて、「水飲み場や休憩所にアプローチする経路をどのように確保しましょう」といったところなので、逆に遊び場などの具体的な設計についての自由度というのはまだすごくあるんですね。

世田谷の羽根木プレーパークなんかで、子どもに自由に遊ばせるために公園で火を使っていいとか、敢えてたいした施設はつくらないとかというやり方も一つの方法ですよね。
また子どもには「安全に、安全に」というのではなくて、「危険を経験することが重要なんだ」という話もありますよね。だから大人の場合と同列にした考え方ではなく、「多少転んだり擦り剥いたりはしょうがない」と思っておくことなどが必要でしょうね。
遊び場に対する考え方の方針というのはたぶん決まらなくて、それぞれの設計に関わった人が「子どもにどう遊んでほしいか」をほんとに考えて、いろんなものを出していくしかないんじゃないかと思います。

あと「公園の遊び」というのは、「日常生活の遊び」というベースがあってのことという気がするんですよ。今の場合は、塾の時間だとかで日常生活から遊びがなくなってるでしょ? それに家以外の場所で第三者に子どもを預けていてちょっとけがをしたりすると、安全の責任が問われて大ごとになったり・・・。まずそのあたりの感覚が変わって、子どもの中に「遊ぶ」ということがもうちょっと定着する必要があるんじゃないかという気がします。

要するにハードだけつくって、「障害のある子どもが遊べるからここで遊びなさいよ」「こういう遊び方をするんですよ」というのでは成功しないような気がするんです。他の子どもが遊んでいないと、障害のある子どもも「そこで遊ぼう」という気にはならないと思うんですね。やっぱり子どもの好奇心を最大限に駆り立てるのは、同い年くらいのお友だちが一緒に楽しそうに遊んでいることだと。

まずは「子どもを遊ばせる」ということが大切だと思いますよね。

―貴重なお話をありがとうございました。

(2009年3月8日のインタビューより)