コラム
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「コラムNo.13:障害の社会モデルとユニバーサルデザイン」
倉敷芸術科学大学芸術学部
柳田宏治

  大学のデザイン系3年生の授業「ユニバーサルデザイン論」の中で、「障害とは何か」というテーマで行った議論の一部をご紹介します。1コマ1回で終わる予定が、2週間にまたがる活発な議論になりました。

 障害について、「医学モデル」と「社会モデル」という2つの異なった捉え方があります。医学モデルでは、障害によって引き起こる不利益を個人の特徴から必然的に生じるものとし、障害は個人が努力して克服すべき問題と捉えます。一方、社会モデルでは、不利益を個人の特徴と社会のあり方との相互作用から生じるものとし、社会の側にそれを改善する責務があると捉えます。2006年に採択された国連の障害者権利条約も社会モデルに基づくものです。
 殆どの学生が、最初は医学モデルで障害を捉えていました。しかしながら、医学モデルで障害を捉えていては、ユニバーサルデザインを正しく理解することはできないのです。障害があって製品や環境を使えないという問題(アクセシビリティの問題)を解決すべきなのは、利用者側(ユーザー)なのか、提供者側(デザイン)なのか。社会の側にその責務があるとするのが社会モデルですから、ユニバーサルデザインは、まさに社会モデルの観点からデザインのあり方を考えるものです。

 議論は、バリアフリーデザインとユニバーサルデザインとの違いと障害のモデルとの関係に及びました。どちらもデザインによってアクセシビリティの問題解決を図る、つまり社会の側に問題解決の役割があるとするものなので、社会モデルに基づくものだと言えるかもしれません。しかしながら、これには少し違和感が生じました。
 バリアフリーデザインは、バリアを取り除くデザインによって問題解決を図りますが、アクセシビリティの問題を抱えるユーザー(障害者)を特別に扱い、特別仕様の専用品を提供します。その結果、そのデザインを利用する人は、逆にデザインを利用することによって「特別な人」だというレッテルが貼られることになります。また、利用する際に補助が必要なものであれば、常に「助けが必要な弱い人」という役割に押し留められてしまいます。バリアフリーデザインの利用者は、このような態度や心理の問題から逃れることができません。これはちょうど、障害の医学モデルで、障害による不利益の原因が個人にあり、不利益は個人が努力して克服したり我慢したりすべきものとしていることとよく似た構造になっているとの指摘がありました。
 このように、バリアフリーデザインが医学モデル的な要素を残しているのに対し、ユニバーサルデザインは、公平性を基本にデザインの側が多様なユーザーのニーズに応えるもので、社会モデルそのものだと言えます。

 「デザインには責任がある」。1990年代、バリアフリーデザインからユニバーサルデザインへという転換に多くのデザイナーが共感しました。それは、ユニバーサルデザインが、アクセシビリティの問題に対して真に社会モデルに基づいた新たなコンセプトであったからでしょう。この社会モデルの考え方は、障害やアクセシビリティの問題に留まらず、様々な分野で今後の社会の基軸になっていくものでしょう。

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